常瀧寺の大イチョウは、今から千三百年余りの昔に、常瀧寺を開創した法道仙人によって養老年間(714〜724)にお手植えされたと云われています。当時常瀧寺は現在の寺の裏山の中腹にあり、七動伽藍を完備した大きな寺で、修験の寺として栄えていたようです。年代でいうと養老年間(717〜724年)ぐらいであったと思われます。

この時代は現在の中国から仏教の伝道のために危険を顧みず、小舟に乗って幾人もの僧が渡来していた。中でも鑑真和上などが有名であるが、おそらくその頃に伝道師が中国から持ち込んだのではないかと推察されます。イチョウの実は栄養価が非常に高く、長い船旅には格好の栄養食であったに違いありません。


常瀧寺の大イチョウは、明智光秀と地元の豪族である秦氏との戦いで戦火に遭い、堂宇は悉く焼失したと地元の郷土史である丹波志に記録があるが、この大イチョウはその戦火にも耐えて現在に至っています。ただ、いつごろか不明であるが、表面が黒焦げなので雷が落ちたのではないかと思うが、猟師が獲物を追って火をつけたのではないかという話もあるようです。

ところで、神奈川県にある鶴岡八幡の大イチョウが倒木したというニュースはまだ記憶に新しい。「隠れ銀杏」と呼ばれ、源実朝を暗殺した公暁が隠れていた大イチョウであるが、鎌倉時代に人が隠れるぐらいの大木になるには、当時三百年ぐらいの樹齢であったと思われます。そのイチョウを研究している先生の推察で興味深いのは、常瀧寺の大イチョウと遺伝子が全く同じであるということです。おそらく常瀧寺の大イチョウをもらって挿し木したのではないかという仮説を唱えておられるが、まさに思いもよらぬ話で、千数百年の歴史ロマンは心が躍ります

その真意はともかくとして、常瀧寺の大イチョウは「乳の木さん」と呼ばれ、乳のように垂れ下がるコブの表皮を煎じて飲むと、乳の出がよくなるということで、乳の出にくい婦人たちの信仰の対象でした。また大正時代には登山道に八体のお地蔵様と大イチョウの前に石造りのお大師様が祀られ、たくさんの方々が参拝されました。